仁尾雨乞い竜の由来

 高温少雨の瀬戸内海気候,しかも三方を山に囲まれた仁尾は古くから干ばつに悩まされてきた。有史以来数え切れない日照りの中で,寛政11年(1799)の夏はまれにみる干天続きであった。溜め池の水は枯れ,井戸の水も底をつき,稲は今にも枯れかかろうとしていた。毎夜,山頂では藁や木を燃やして竜王神に祈る古いしきたりの雨乞いの神事が行われたが,いくら祈っても天に通ぜず日照りは続いた。
 困り果てた百姓たちは,笠岡村(現在の香川県豊中町)の行者和蔵に相談した。和蔵は全国を巡り歩いて修行した偉い僧で,中でも雨乞いにかけての霊験は広く知られていた。和蔵は百姓たちに,「藁で大きな竜を作り,それに伊予の黒蔵渕(現愛媛県伊予三島市)から汲んできた水を掛けて祈ればよい。」と教えた。
 仁尾を夜中に立った若者たちは,十里の道を必死に駆け朝方に黒蔵渕にたどり着いた。早速,その土地の神主に頼んで水汲みの神事を行い,一斗樽に水を一杯に入れて帰路についた。数人が一組になって代わるがわる樽を担いで休みなく走った。途中で止まるとそこに雨が降るというのである。
 和蔵は,早速その水を藁の竜にお供えした。そして百姓たちは大きな竜を担ぎ,口々に「竜に水あぶせ,竜に水あぶせ。」と叫びながら村中を駆け巡った。その間和蔵は,雨の宮神社の前でひたすら祈り続けた。すると不思議なことにその夜,妙見山に大きな黒い雲がもくもくと現れ,雷光と共に大粒の雨が降り,百姓たちは歓喜の声を上げたという。
 仁尾町では寛政11年以来昭和14年まで140年間大干魃の度に藁で作った竜による雨乞神事が行われていたが,その後社会事情の変動により,この神事も途絶えていた。その後昭和63年,瀬戸大橋博覧会が開催された時,この仁尾雨乞い竜が50年ぶりに復活出場した。それを契機として”仁尾竜まつり”を開催し永く伝統民俗行事として伝承して行くことになった。

雨乞い竜の作り替え

 雨 乞い竜は,竜祭りのとき多くの水を浴びるため,定期的に作り替えが必要となる。骨組みは細かく切った竹を交互に重ね,一本一本手間暇をかけて,筒状に編んでいく。使用した竹は100本以上,3月から取り組みおよそ3 ヶ月の月日を経て,全長約40mの長い竜の骨組みが完成する。
 一方,数千枚のうろこをわらで編む作業も行われる。町内の公民館では多くの人が集まって,雨乞い竜のうろこ作りが行われる。ベテランの人も慣れていない人も丁寧にわらを編み,地道な作業が続けていく。
 外では,できあがったうろこを竜につける作業が行われる。真っ暗な中,照明器具をつけての夜間作業が続くのであった。

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